これも秋元康さん作詞です。
ジェロ Jero – 海雪(MUSIC VIDEO)
秋元康さんの書く歌詞気持ち悪いという意見が多いですね。
なぜそう思う人が多いのか調べてみました。

ちなみににAKB48、檸坂46の楽曲の歌詞についての意見となります。

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■秋元康さんの顔が浮かぶから。

あの歌詞を60になる男性が書いていると思うと気持ち悪いという意見があるようです。
秋元康さんの容姿と歌詞のギャップからそう感じるのだとか。
秋元康さんの容姿がさわやかイケメンだったらこうは言われなかったのでしょうか。
職業に容姿は関係ありません。
さわやかイケメンでも心は美しくないことも多いのです。
でもいろいろ良くない話題がある人ですし、秋元康さんの心が美しいとは思いませんけれど。

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■自分の内面を歌で肯定させようとしていると感じる

歌わせることで自分の内面をアイドルに肯定させようとする、という意見があります。
聞かせることで大衆に肯定させようとしているとか。

たしかにAKB48の歌の歌詞は、前向きになれない「僕」みたいな人物の
心情がつづられることが多いように思います。
AKB48向けに書いた歌詞の数は膨大です。
似た要素を持つ歌も多い。
だからそれらが秋元康さんの内面の心情だととらえられてしまったのでしょう。
とはいえ、秋元康さんの歌詞のような葛藤を持つ人は多いと思います。

誰でも意味は理解できる歌詞。だから誰でも感じたことがある感情なのです。
同じ社会に生きている以上、悩みや苦しみはある程度共通してきます。
特に若い世代の葛藤を書いた歌詞が多い感じですね。
若い頃や学生時代の苦しみとか葛藤を客観的に見れるようになるにはある程度歳を取ることが必要です。
そういった歌詞に共鳴するのは世代ド直球の若者か、まだ暗い青春を引きずるおじさんたちでしょう。

彼らをターゲットにした歌詞を書くというのはビジネスとしてごく当然のことではないでしょうか。
よって秋元康さんが書く歌詞は決して自分の内面とは限らず、だれでも感じたことがある
感情を、よりファン層と親和性が高くなるように広げたものと言えるでしょう。
その象徴ともいえる一人称が「僕」なのです。
AKB48の歌詞には「僕」という一人称が多い。
「俺」ではなく「僕」
「僕」のほうがちょっとナイーブな響きがありますよね。
「私」ではなく「僕」
「私」は女性的、あるいは社会人の一人称だと感じますよね。
アイドルが恋愛を歌うのはアイドルが故当然のこと。
そして恋愛に一番興味を持つ世代は若い世代。
彼、彼女らの心情を主に歌詞に盛り込む。
それは当然のことです。
しかしここに新たな「気持ち悪い」が生まれるのです。

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■若者を理解している気になっているだけ

秋元康さんは若者の理解者になろうとしているけれど自分が「支配する側」の大人であることに気付いていない。と言う意見があります。

だから彼が若者に寄り添うことはできない。
「今の若い子はこうなんだろ?」
といった感が歌詞から出ているというのです。
確かに60になる人に今の若い世代の心情を完全に理解するのは無理がありますよね。

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■欅坂46の歌詞で見直した人もいる?

こんな歌詞書けるんだとか、
AKBの曲と比べたら熱いじゃん、と。

「サイレントマジョリティー」の歌詞とかですね。
やはりグループの方向性に合わせて歌詞を作っていると思います。
プロなんだから当然ですよね。
歌詞気持ち悪いという意見はあのおっさんが書いていると思うと…
という受け手の意識のせいもあるのでしょう。
ちなみにジェロさんの「海雪」、EXILEの「EXIT」も秋元康さんの作詞です。
あのEXILEです。

聞いてみればわかりますが、AKB感0です。
女性アイドルの作詞ばかりの秋元康さんですが
それ以外の歌詞はまた違った雰囲気があります。
人によって好き嫌いはあるでしょうけれど本人は歌う人の性質を考えて歌詞を書いているのは間違いないようです。

少なくとも本人はそういうつもりのはず。

■よく考えているが故に「薄い」という意見

歌詞の意味がわかること、理論的であることを優先しているが故に薄く感じる人もいるようです。
いわゆる大衆向け、ということでしょうか。

それはビジネスとしては正しいと思いますが、芸術性は薄れてしまいます。
例えば意味はよくわからないけれど、感情に訴えるような歌詞を書く作詞家もいます。
そういう歌詞に比べたらたしかにパワーは弱いと思います。
ネガティブな意見も多い秋元康さんですが、優秀な仕事をする人であるのは確か。
還暦が近い彼が一体いくつまで頑張るのか。
気になるところではありますね。